「たらちねパラドクス」1巻(塀)

とある事情から娘と同じ高校に「生徒」として通うことになった、母親のすだち。その設定だけでもややこしいのに、彼女の容姿がロリバb…小学生並みに幼いので、見た目もややこしい。時に母親でもあり、時に同級生でもあり、時に妹や後輩でもある、そんなすだちを中心とした学園4コマ。

正直なところ、この作品の面白さがよく分からない。と言っても「つまらない」わけではなく、「面白いのは間違いないが、何がどう面白いのかを説明しづらい」。舞台は女子高で、すだちたちは部活動をしておらず、すだちが32歳である点を除けばファンタジーな設定も存在しない。しかし、この作品を可愛い女の子が学校でお喋りしているだけの学園4コマとして読むには、あまりにも難解すぎる。似たような雰囲気の作品としては「ふおんコネクト!」を思い出すが、あちらは曲がりなりにもセリフや行動に理屈が通っているのに対して、こちらは「どうしてこのキャラはこの場面でこんなことを言ったんだろう」と疑問に感じることが多い。何度か繰り返し読んでやっと理解できることもあれば、結局意味が分からないままモヤモヤすることもある。それでも決して不快感を感じないのは、その分かりにくさが「単に描き方が悪いだけ」に依るものではないからだろう。

1巻に収録されているエピソードの中でも特に印象に残ったのはふたつ。ひとつは、イギリス人のイーヴリンがすだちたちの高校に転校してくる回。イーヴリンは日本語をほとんど話せず、逆に高校の生徒や先生は英語をほとんど話せない。そうした言葉が通じないという現象をこの回では「複雑に絡まった矢印」という絵で表現しているが、初めて読んだときはこの表現の意味が分からなかった。「この矢印って何?」、と。というのもこの回の冒頭で、イーヴリンはすだちと普通に会話をしていたからだ。読者にも分かる「日本語」で。ここでようやく、数話前のエピソードで描かれていた「すだちは日本より海外にいた時期の方が長い」という設定を思い出す。つまり、吹き出しは「日本語」でも、イーヴリンとすだちはお互い「英語」で話していたのだ。日本に来る外国人は大抵日本語がペラペラ、外国人同士が外国語で話しているときでも吹き出しは日本語で描かれる、という漫画のお約束を逆手に取った、見事なトリックだと膝を打ったものである。

もうひとつは、すだちの娘のあかしと、その友人の冬生が電車に乗ってクリスマスケーキを買いに行く回。この作品にしてはむしろ珍しい、特にストーリー性もシュールな要素もない純粋な日常回である。その中で印象的だったのは技法でもセリフでもなく、彼女たちの行動。あかしは途中から乗って来た妊婦に自分の席を譲り、冬生は足元に転がって来た空き缶を拾う。これらのことを、彼女たちは全く別の話題を喋りながら行う。席を譲るなんて偉い、ゴミを拾うなんて偉いとお互いに褒め合ったりもせず、そのまま次のネタに移行する。では、なぜ彼女たちは席を譲り、ゴミを拾ったのか? この行動の意味は、未だによく分かっていない。次巻以降への伏線という可能性もまず考えられない。敢えて推測するなら、彼女たちはこんなことを自然にできてしまう良い子たちなんですよという読者に向けてのアピールだろうか。それにしては少し「できすぎ」だし、あざとい気もする。この表現の良し悪しはともかくとして、単体で見れば普通の日常描写に底知れない違和感を感じるという点では、この作品の特徴を最も良く表しているエピソードなのかも知れない。

この作品最大の謎であり重要キャラでもあるすだちについては、他の人も語っているだろうから割愛するとして、最後に冬生というキャラについて書いておきたい。この子がとにかく危なっかしい。お金持ちのお嬢様である彼女は、勉強、スポーツ、芸術と大抵のことは人並み以上にこなすことができる。ただし、彼女の行動原理はただひとつ、「ちやほやされたいだけ」である。生徒会と学級委員をかけもちしているのも、将来の夢はノーベル賞経団連の会長なのも、誰かの役に立ちたいからではなく、そうすれば誰かが褒めてくれるからでしかない。元をたどれば、仕事で忙しい両親の気を引きたいという理由があるので、決して性格が悪いわけではないのだが。巻頭のキャラクター紹介で言われているように「器用貧乏」――確かに優秀だが高校レベルですら一番にはなれない彼女がいつ自分の限界に気付くのか、あるいは才能が開花するのか、色々な意味で目が離せない。