映画

予習なしで『時計じかけのオレンジ』を観るべきではなかった

こんにちは。「まっしろライター」のましろ(@mashirog)です。

TSUTAYAの「旧作DVDレンタル2本無料クーポン」をもらったので、映画を2本借りました。

ひとつは、『2001年宇宙の旅』。以前にも一度観ていますが、繰り返し観たくなるくらい好きな映画です。

ちなみに、当ブログのプロフィール画像は、この映画に登場する「HAL9000」だったりします。

そしてもうひとつが、『時計じかけのオレンジ』

監督は『2001年宇宙の旅』と同じスタンリー・キューブリックで、作品の名前は知っていたので借りたものの、これが失敗でした。

せめて、簡単なあらすじくらい調べてから観るべきだった…。という回顧録です。

※映画そのものは面白かったです。

主人公が胸糞悪い

私は、暴力的な作品があまり好きではありません。

暴力は良くないとか、そういう立派な主張があるわけではなく、作中のキャラクターが痛めつけられていると自分も痛みを感じるような気分になってしまうのです。『ひぐらしのなく頃に』も、最近ようやく観られるようになりました。

そうした意味で言うと、『時計じかけのオレンジ』は、私が一番観てはいけないタイプの作品でした。

冒頭からいきなり、ホームレスの老人をリンチする主人公たち。かと思えば、不良グループが女性をレイプしようとしている場面に主人公たちが乱入。隙をついて女性が逃げたあと、相手をボコボコにして自分たちも逃走します。

暴力はふるうけど、女性には手を出さないタイプなのかな? と思いましたが、次のシーンでは作家夫婦の家に強盗に入り、夫の目の前で妻をレイプ。もうメチャクチャです。

特に光るのが、主人公のアレックスを演じるマルコム・マクダウェルの演技。怪演という表現がふさわしい。

常に視聴者をにらみつけているかのような表情は、特に説明がなくても「こいつ絶対やばい奴だ…」と一目で分かります。

なお、この映画の印象があまりにも強すぎたせいで、彼には悪役のオファーばかり来るようになってしまったようです。

字幕の意味が分からない

外国の映画は、できるだけ吹き替えでなく字幕で観るようにしています。

通ぶっているわけではありませんが、英語はそれほど分からないとしても、できるだけオリジナルの状態で作品を楽しみたいと考えているからです。

ただ、『時計じかけのオレンジ』は、字幕そのものの意味が分からないので苦労しました。

なじみのないカタカナがしきりに出てくるのですが、その言葉がどういう意味なのかまったく説明がない。

あとで調べたところによると、これらの言葉は「ナッドサット語」という、この作品特有のスラングであるようです。

とはいえ、映画を観ているうちに何となく意味が分かってくるようになるのが不思議です。「フィリー」は、「レイプ」という意味なんだなとか…(よりによってそれ)。

ラストシーンの意味が分からない

殺人の罪に問われて逮捕されたアレックスは、刑期の短縮を求めて、「ルドヴィコ療法」というプログラムの被験者に名乗りを上げます。そのプログラムとは、薬物を投与しながらバイオレンス映画を観させて、暴力的な行いをしようとすると吐き気を催すようにするという、一種の洗脳のようなもの。

改心はしていないものの、暴力に対して無抵抗になった状態で出所したアレックスは、かつての被害者たちからの復讐を受けます。迫害から逃れるために飛び降り自殺を試みるものの、死にきれない。病院で目覚めたアレックスは、「ルドヴィコ療法」の主導者である大臣と握手をし、大きなスピーカーと大勢のカメラマンに囲まれ、不敵な笑みを浮かべる…。

はっきり言って、意味不明です。まあ、『2001年宇宙の旅』のラストはそれ以上に意味不明なのですが、あちらは原作小説を事前に読んでいたので何とかついていけました。

映画を観終わって色々調べてみたところ、あのラストシーンには「犯罪者は簡単には更生できない」「たとえ犯罪者でも、一方的に行動や思想を制限することはできない」という意味が込められているようです。

まとめ

「予習なしで観るべきではなかった」というタイトルと逆の発言になりますが、むしろ「予習なしで観て良かった」と思います。

SNSによる情報拡散が当たり前になった現在、作品の公開前にネタバレが流出してしまうことも日常茶飯事です。

『時計じかけのオレンジ』という、映画ファンなら誰もが知っている作品を一切のネタバレなしで観ることができたのは、むしろ幸運だったと考えるべきでしょう。

まっさらな状態で観て、意味を咀嚼して、あらためてもう一度観る。『2001年宇宙の旅』と同様、それだけの価値がある作品です。