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「です・ます」調で文章を書くの、難しくないですか?

こんにちは。「まっしろライター」のましろ(@mashirog)です。

当ブログの記事は、すべて「です・ます」調で書いています。

以前は、ブログの記事もTwitterのツイートも「だ・である」調で書くことが多かったのですが、10月にフリーライターを名乗るようになってからは「です・ます」調に切り替えるようにしました。

ライターの方のブログやTwitterアカウントを見ていて思ったのが、「です・ます」調で書いている方が多いということ。

ライターは、文章を書くのが仕事。そして、「だ・である」調よりも「です・ます」調の方が、読む人に優しい印象を与えられるからでしょうか。

仕事で書かせていただく記事も、「『です・ます』調でお願いします」と指定されることが多いため、今まで書いていなかったぶんの練習がてらという意味もあります。

ただ、文体を切り替えて1ヶ月が経っても、いまだに「です・ます」調で文章を書くのに慣れてこない。

むしろ、書けば書くほど、「です・ます」調ってすごく難しくない? と苦手意識すら持つようになってきました。

「です・ます」調は、語尾のバリエーションが少ない

「です・ます」調で文章を書くメリットとして、以下のようなものが挙げられます。

「です・ます」調のメリット
  • 丁寧な印象になる
  • 親しみやすい
  • 感情をこめやすい

お金を払ってじっくり読む本と違い、無料で読めるインターネット上の文章は、基本的に読み飛ばされるものだと言われています。

ネットの文章を読んでもらうためには、いかに共感してもらえるか、書かれている内容を自分ごととして受け取ってもらえるかが大切なので、実際に話しかけているようなイメージで書ける「です・ます」調を使うのは理にかなっているのでしょう。

また、「です・ます」調なら、ときにはビックリマークなんかを使ったりもして感情の起伏を表現できますよね。

「だ・である」調の記事でビックリマークを使うのは、会話文の中くらいだと思います。

もちろん、「です・ます」調は良いことばかりではなく、以下のようなデメリットもあります。

「です・ます」調のデメリット
  • 幼い印象になる
  • 読者との距離が近くなりすぎる
  • 語尾が単調になる

特に私が気になっているのが、最後の「語尾が単調になる」というもの。

「です・ます」調という言葉がすべて言い表しているように、「です・ます」調の語尾って基本的に「です」と「ます」の2種類しかないんですよね。

なかでも「ます」が曲者で、何も考えずに文章を書いていると、「思います」「食べます」「行きます」というように語尾が全部「ます」になってしまう。

一方、「だ・である」調はそうした心配があまりなく、「思う」「食べる」「行く」と、動詞で言い切るだけでも語尾が変わってくれます。

対策として、体言止めを使う、「です」を織り交ぜる(思います→思うのです)、過去形や推測の表現に書き換える(思う→思いました、思うでしょう)などがありますが、文章の内容と関係ないところにも気を遣わないといけないのが「です・ます」調のやっかいなところです。

語尾だけ変えてごまかそうとすると、不自然な文章になってしまいますしね。

「思うのです」とか、艦これの電じゃないんだから…という(艦これはプレイしたことがないです、すみません)。

「です・ます」調は、ときに冷たく感じる

「丁寧な印象になる」「親しみやすい」のが「です・ます」調のメリットだと書きましたが、必ずしもそうじゃない場合もあります。

例えば、以下の文章。

A:話題になってるアニメ、1話だけ観たけど好みじゃなかった。2話以降は観ない。
B:話題になってるアニメ、1話だけ観ましたけど好みじゃありませんでした。2話以降は観ません。

なんとなく、Bの方が取り付く島がないというか、突き放されているように感じませんか?(例文が悪いというのは置いておいて)。

「慇懃無礼」という言葉もあるように、「です・ます」調で否定的な文章を書くと、「だ・である」調で書くよりも冷たいイメージになる気がします。

Twitterを見ていても、「言っていることは間違ってないんだろうけど、なんか引っかかるな…」と思ってしまうツイートは、だいたい「です・ます」調のものだったりします。

ただ、裏を返すと、あえて「イラッとさせる」文章を書きたいのであれば「です・ます」調の方が良いということにもなります。

炎上系ブロガーという肩書き(?)を持たれているイケダハヤトさんも、「です・ます」調でブログを書いていますよね。

もし「だ・である」調で書かれていたら、悪い意味で「炎上しなくて」、あそこまで有名にはならなかったのではないでしょうか。

私は、意図的に炎上を狙うような高度なスキルは持っていないので、「です・ます」調で書くと決めてからは今まで以上に文章の内容に気をつけるようにしています。

「です・ます」調は、未成熟の文体?

「東大・京大で1番読まれた本」と言われている『思考の整理学』の著者としても有名な外山滋比古さんが、別の著書でこのようなことを書かれていました。

 いまは昔、といっても昭和十年代まで、日本人は候文で手紙を書いていました。いまの人は想像もつかないかもしれませんが、これはなかなかおもしろい文体です。候文だと厄介なことも、案外さらりと書けるのです。

(中略)

それでは、形式を捨てたあと、日本人がどのようにして手紙を書いているのかといえば、候文の代わりに、「です」「ます」を、使うようになったのです。ところが、実際にこの文体で書いてみると、なかなか手ごわいことがわかります。思ったように、うまく書けないのです。何を言っているのか、わけのわからない手紙になったりするのです。

形式を捨ててしまった日本人にとって、形の整った手紙というものは、事実上、姿を消してしまったといえます。そのため、手紙はいよいよ書きにくくなり、いよいよ書かれなくなっています。「です」「ます」文体の手紙は、まだ美しくなるほどに成熟していないといってよいでしょう。

※引用:外山滋比古『日本語の絶対語感』175~177ページ

この文章は、日本人が手紙を書かなくなったことに対して警鐘を鳴らしているものですが、手紙以外にも当てはまると思いました。

「です・ます」調の文体は「だ・である」調ほど洗練しきっていないのだから、書きにくくて当然なんですよね。

語尾のバリエーションが少ないのも、文体としての未熟さを表しているのではないでしょうか。

引用した『日本語の絶対語感』も「です・ます」調で書かれていますが、外山さん自身も「『ですます』で原稿書くの難しいなあ…」と愚痴りながらこの本を書かれたのかもしれません。

まとめ

「です・ます」調の文章は、やわらかい印象になる反面、語尾が単調になる、書き方が悪いと逆に冷たい印象になるというデメリットもあります。

これは、「だ・である」調よりも文体として成熟していないということが関係しているのかもしれません。

とはいえ、「です・ます」調でリズムの良い文章を書く方が大勢いるのも事実。

「です・ます」調の文章を書く機会は今後ますます増えていくはずなので、そういう方の本やブログを参考にして、苦手意識を克服していきたいと思います。